「あゝ荒野」という映画を見た。
全体的に暗いし、品がないし、わかりにくいし、長いし、バッドエンドだしで、一般的ないい映画とは程遠いのだが、オレには面白かった。
いや、刺さるものがあったというか。
そして、オレがやりたいことを思い出した。
なんともモヤモヤし続ける映画
ざっくり言うと、「あゝ荒野」は少年院上がりの新次と、吃音症で対人赤面症の健二がボクシングするって話である。
全体的に、スッキリしない。
新次はずっとキレまくるし、健二は言いたいことが言えずにハッキリしない。
しかも彼らの問題は、最後まで何一つ解決しない。
華もない。
出てくる人も、なんかこう色々抱え込んでる人たちばっかりだし、舞台は新宿のゴミゴミしたところだし。
しかも、ラストは超バッドエンド。
最初から最後までモヤモヤしっぱなしだ。
不器用すぎて最後がひどい
おそらく見る人はほとんどいないと思うのでネタバレしちゃうけど、最後は新次が健二をリング上で殺してしまう。
人を憎んでもムダだとわかっているのに、結局、新次は人を憎むことをやめられなかった。
憎むべき相手を憎めない健二は、そんな新次のようになりたくて、新次に戦いを挑んで死んでしまった。
最後まで、人を憎めなかったのだ。
不器用にもほどがある。
全くひどい映画だ。
だが、感動した。
特に、新次に対して。
わかっていてもキレ続ける新次に、強烈なシンパシーを感じた
オレは人なんか嫌いだ。
憎らしくて憎らしくてしょうがない。
オレにくそくだらねー常識なんぞを教えようとした親も、オレよりバカなくせにオレに教育なんぞしやがったセンコーも、オレを暗いだのなんだのいってバカにした学校のクソどもも、オレをフリやがったクソ女どもも、会社のバカどもも、そのほとんどが嫌いだ。
たまに人口の9割以上嫌いだと書いているのは、別に冗談でも何でもない。
ただの事実だ。
だからわかるのだ。
憎んでも損だとわかっていても、それでも人を憎み続け、怒りだけで生きようとする新次の気持ちが。
救われないのだが、救われた気がする
シンパシーを感じたところで、オレの人生が何かよくなるわけではない。
映画の中での新次と同じだ。
でもそれでも、自分と同じような人が、たとえ映画の中でもいたことに救われるのだ。
一人じゃなかったと。
いや、なんかちょっと違うな。
何も救われてないな。
でも、救われた気がするのだ。
とにかく、感動したのだ。
思い出すだけでこみ上げてくる何かがあるのだ。
少数の人に刺さる何かがやりたい
オレさぁ、やっぱ会社辞めたいから、こうやってブログ書いたり、プログラミングしたりしてんだけど、あんまマニアックなことやっても儲かんないんだよ。
だから、一般ウケを狙って狙ってやってんだよ。
でもそういうの、オレがやりたいことじゃねーんだわ。
理屈じゃねーんだけど、オレがやりたいのはもっとこう少数の人に刺さることなんだよ。
それが文章なのか、WEBサービスなのか、動画なのかはわかんないけどさぁ。
そういうことを「あゝ荒野」見て思い出した。
とにかく今は、稼いで稼いで稼ぎまくろう。
あとは稼いだ金で、好き勝手にやりたいことをやろう。
さて、がんばるか。