色んな人が色んなことに対して「自信がある」とか「自信がない」と言う。
もうずーっと前から思っていたのだが、その自信があるとかないとかいう感覚がよくわからない。
具体的に説明しよう。
自信の有無はない、好き嫌い得意不得意しかない
オレは文章を書くのが好きだ。
毎日毎日、大して金にもならないのにブログを書いているぐらいだから、どう考えても文章を書くのが嫌いということはなく、むしろ好きだろう。
文章の得意不得意に関しては、ジャンルによる。
説得力のある文章を書くのはまぁまぁ得意だと思うが、小説のような比喩を多用した美しい文章は不得意だ。
…さて、ここで今までオレが文章について書いた内容について考えてほしい。
オレは好き嫌いと、得意不得意については触れたが、自信があるとかないとかは一言も触れていない。
なぜなら、自信については考えてないし、考えたこともないからだ。
文章についてだけではない。
ほとんどすべてのことについて、オレは好き嫌いと得意不得意しか考えない。
サッカーは嫌いで不得意だ。
ヨガは好きだが、体が硬すぎてなかなかポーズができないので不得意だ。
歌は好きだし、結構上手いので得意なほうだと思う。
すべてがこの調子なのだ。
オレが何かに対して思うことは、好き嫌いと得意不得意だけで、自信の有無はないのだ。
自信があるとかないとか、ちょっと考えすぎではないか?
そんなオレからすると、「自信がある」とか「自信がない」と言う人は、ちょっと考えすぎなように思うのだ。
好き嫌いか得意不得意の話でしかないのに、勝手に自分の中で「自信がある」「自信がない」とまでふくらませて、誤解しているように見えるのだ。
例えば、平均よりは得意ということを「自信がある」とまで思ってしまい、自分の実力を見誤り、周囲から「勘違い」と思われたり、自分より得意な人に過剰に嫉妬して足を引っ張ったりしている。
ただ不得意というだけのことを、「自信がない」「何をやっても上手く行かない」「自分が嫌い」とまで思い込んで、落ち込んでいる。
いずれにせよ、生きづらそうに見える。
こういうのって、なんとなく親の影響があるように思う。
冷静に考えると、ウチの両親は自信があるとかないとか一切言ったことがなく、ただ好きか嫌いか、得意か不得意かだけ言っていた。
親の影響となると、そう簡単には変わらないと思うけど、あんまり自信があるとかないとか考えないほうがいいのではないか。
自信なんてものは、自分が考えなければそもそも存在せず、ただただ好き嫌いと、得意不得意があるだけだ。
それが事実だ。
そして、その好き嫌いと得意不得意に対して、自分がどうすればいいかをその都度考えていけばいいだけだ。
好きで得意だから仕事にしようとか、好きだけど不得意だから趣味にしようとかね。
自信があるとかないとか、あんまり考えないように、思考を習慣づけたほうが良い。
自信について考えたことがないオレには、そう見える。