子どもがかわいい。
元々ちっちゃくてかわいいのだが、成長するたびにかわいくなっていく。
この分だと、子どもが中年になってもかわいく思えるのだろう。
いや、ホントに。
子どもの成長に、じわじわと幸せを感じる
あれは冬のある寒い日のこと。
赤ちゃんにはどうも暑さ寒さの感覚がまだあまりないようで、真冬でも冷たいところを触り、あっためようとすると嫌がった。
しかし、徐々に寒いという感覚がわかるようになったのだろう。
一緒に抱っこ紐に入れて外出したとき、手が冷たかったので握ってあげたら「アハ!アハ!」と喜んだのだ!
そのままずっと手を握って歩いたのだが、なにかこうじわじわとくるものがあったのだ。
胸の奥があったっかくなるようなこの感じ。
そう、「幸せ」だ。
子どもの成長は、迷惑なことであってさえ感動なのだ
だが、子どもの成長は時として困ることもある。
最近は、ドアを閉めてオレを閉じ込めるのが大好きだ。
洗面所で髪をかわかしていると、ドアのところに立って、ニコッとしながらドアを閉める。
「開けてくれ」と頼むと、少しだけ開ける。
でも出ようとすると、また閉める。
完全に遊ばれている。
ともすると迷惑でしかないのだが、親のオレからするとそこがまたかわいい。
「そうか、いたずらを覚えたのだな…成長してるなぁ…」
と、またじわじわとこみあげてくるものがある。
そう、「幸せ」だ。
子どもの成長は、たとえそれが苦悩であってさえ感動するだろう
まだ小さいので、成長と言ってもかわいいものだ。
だがこの先きっと、思い悩むようなこともあるだろう。
学校か、恋愛か、仕事かわからないが、生きてりゃ色々あるからね。
でもね、オレは思うんだよ。
そんなときでさえ、親のオレにはかわいく思えるんだろうってね。
子どもが悩んでいる姿を見て、きっとオレはこう思うのだ。
「とうとう、悩むような年齢になったか…そうかそうか…」
そうしてまた、じわじわと幸せがこみあげるのだ。
子どもからすれば、
「何を言ってんだ!
こっちは大変なんだ!」
って話だろう。
だが親の気持ちはそうなのだ。
どんなときでさえ、子どもはかわいいのだ。
中年になっても、あるいは老人になっても、子どもは子どもであり、ずっとただただかわいいのだ。
とにかく、子どもはかわいいんだよ。