前に作ったみんなのおノロケ話投稿サイト | のろけちょーを見ると、ちらほら女子高生からの投稿がある。
のろけちょーへのアクセスの大半はこのブログからだ。
つまり、このブログは女子高生も読んでいるということになる。
「そうか、そうか、高校生も読んでいるのか…
じゃぁ高校生に向けた記事でも書いてみようかな…」
と思っていたら、ふと気づいた。
高校時代のことをほとんど覚えていない
先日、たまたま同じ高校出身の人と話すことがあった。
「高3で国立か私立かでクラスがわかれましたよね!
どこでした?」
えっ?
そんなのあったっけ?
言われてみればクラスが分かれた気もするが、どうにも思い出せない。
というか、ほかのこともほとんど覚えていない。
ひと学年に何クラスあったか、ひとクラス何人いたか、男女比はどうだったか、全然わからない。
同級生についても、仲が良かった5人ぐらいは覚えてるけど、あとはぼんやり顔だけ覚えてて名前は思い出せない。
とにかく、高校時代のことを覚えていないのだ!
3年も通ったというのにだ!
嫌なことは忘れるから、今辛くても気にするな
オレは高校が嫌いだった。
大嫌いだった。
色々あってもう目立つぐらい馴染めなかったからだ。
ネットも一部の人しかやってなかったあの時代、ほとんどの高校生には家と学校しか居場所はなかった。
そのうちの1つがダメな上に、そのことに親は全く理解を示さなかったので、もうどこにも居場所はなかった。
今まで生きてきて辛いことなど山ほどあったけど、高校時代が一番辛かった。
…だが、いかんせんあんまり覚えていない。
辛かったような気はするけど、今となっては具体的には思い出せない。
前に本で読んだのだが、体の一部の機能が失われてしまった人…例えば、手や足がなくなったとか、目が見えなくなったとか…そういう人たちって、みんなそのことに感謝しているらしい。
「あのとき手がなくなったから、今幸せだ」ってね。
なぜそうなるかって、人間の脳はそうできてるからだ。
辛いことがあって「辛い、辛い…」といつまでも嘆いていたら、病んでしまう。
なので、辛い記憶を正当化する。
「あのことがあったから、こうなった!
むしろ、良いことだったのだ!」
ってね。
思えば、オレもそう。
辛い高校時代があったからこそ、イヤなことがあっても、「あのときよりはマシ」と思って乗り越えられた。
挑戦するときも「失敗したって、高校時代より悪くなることはない!1%でも可能性があるほうに賭けよう!」と思って本当に実行できた。
そう、暗黒の高校時代があったからこそ、今のオレがあるのだ!
どんなに辛いことがあっても心配するな。
徐々に正当化され、いずれはあって良かったことになる。
長い目で見て、人生はそんなに大変じゃない。
大変なことはいずれ良いことになるんだからな。
だから、もし今生きるのが辛くても、もう少しがんばって生きてみろ。
…ということを、もし若い人が読んでるなら伝えたい。