オレは高学歴だ。
学歴があれば有名企業にも入りやすいので、新卒では名前を言えばだれでも知ってる会社に入った。
いわゆるエリートだ。
そんな時代もあった。
だがいつも思っていた。
「学歴や会社に意味はない!」と。
というのも、学歴が高かったり有名企業の正社員となると、何にもしてないのにバカが勝手に嫉妬して、あることないこと言ってくるのだ。
「いい大学出てるから偉いわけじゃない!」
「一部上場企業の社員なら、もっと〇〇すべきだ!」
いい大学出てるからって偉ぶった記憶もないし、なんで所属してる会社でオレの行動まで変えなきゃいけないんだ!
意味わかんねー!
死ね、クソどもが!
…というような目によく遭っていたので、「学歴とか地位とか名誉とかロクなもんじゃない」と思っていたのである。
だが、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』を読んで、学歴や地位や名誉を否定することが間違っていたと気づいた。
この本によると、高学歴とかいい会社の社員となると、人はその人を実態以上に良く見てしまう。
例えば「仕事ができるのだろう」と無意識で思ってしまう。
そう、無意識でだ。
高学歴とか、いい会社の社員とか意識していないけど、そういう属性の人を自然と他の面でもよく見てしまうのだ。
もちろん、それ自体は錯覚だ。
だが、その錯覚が大事なのだ。
できる人と思ってもらえれば、いい環境が与えられる。
「こいつならこの仕事もできるだろう」「〇〇に紹介してやろう」とかね。
環境が良ければ、成長する機会も増える。
実力があっても雑用ばかりしている人と比べたら、最初は見せかけの実力でもチャンスがいっぱいある人のほうが、結果的には成長してしまうのだ!
いやこれ、まさにオレの話である。
今の会社では「高学歴だからこの仕事もできるだろう」と思ってもらえたから、もう社長に手が届くようなポジションにスピード出世することができた。
オレが高卒で工場のラインに配属とかになってたら、成長するチャンスも、まして出世するチャンスもほとんどなかっただろう。
会社は好きではないとはいえ、金には困ってない。
会社の人間に至ってはほぼ全員嫌いだが、地位が上だからこそ「オレが気に入る奴雇えばいいや」という力業が使える。
たしかに嫉妬されてイヤな目にもあったが、トータルで見たら得している。
もう圧倒的に得している。
なので、今後はバンバン学歴や地位や名誉を押し出していこうと思う。
錯覚は学歴や地位や名誉だけではなく実績もあるので、そういうのものね。
しかし、「学歴も地位も名誉もいらない」などと思っていたオレはバカだった…。