この前、会社の会議で、
「取引先に『お客さんを紹介してほしい』と頼んだらあっさり紹介してくれて上手くいったので、他部署でもやったらどうか?」
と提案したところ、
「そんな簡単に客は取れない!」
と、いきなりある部長にキレられるという、理不尽な目にあった話をした。
(関連記事:新しいことは絶対に批判される運命にある。あまりの暴論に唖然とした出来事について)
この話には続きがある。
正論は通らなかったはずなのだが…
先日、また同じメンバーでの会議があった。
今回はオレもだまっていた。
「バカどもに何を言ってもムダ、逆ギレされるのがオチ」と思ってたからな。
ところが、ところが…
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前回キレた部長がこう言った。
「〇〇社(取引先)に頼んだら、お客さんを紹介してくれることになった。」
…はい?
それってこの前オレが提案したら、あんたがキレてたことじゃなかったか?
なんなの?
一体なんなの?
なんで自分で否定しといて、自分でやってんの?
正論は、時間が経つと受け入れられるのかもしれない
思えば、こういうことってたまにある。
否定されたのに、なぜか否定した当人がやってるみたいなことはね。
理由を考えてみたのだが、まぁこんな感じではなかろうか。
「〇〇したほうがいい」と言われても、どうにも受け入れがたい。
理屈で考えれば正しいような気がしても、感情的に否定したくなるというかね。
でもよく考えれば、やはり彼・彼女の言うことは正しい。
そうして時間が経つにつれて、正論を受け入れられるようになり、自分でもやってみる、と。
オレも、そういう経験はある。
いきなり人の提案にキレるようなことはないにせよ、理屈で考えればもっともなことであってさえ、感情的にすぐには受け入れにくいようなことがね。
それにしても、やっぱりいきなりキレはしないけどね。
結果はよかったにせよ、あの会社にいるのはムリだ。笑
それはともかく。
「正論は通らない」なんて言われるが、言っとけばあとあと相手が考えを変える可能性は大いにあるので、諦めずにとりあえず言うだけ言っといたほうがいいのだろう。
正論はまさに読んで字のごとく、正しいのだからね。
正しいことは通すべきだよ。