オレは高学歴なのでよく「頭がいい」と言われてきたんだけど、自分ではそう思ってなかった。
幸せに生きてなかったからだ。
「頭がいいのが良いことなら、なんでこんな人生に不平不満だらけなんだ?」ってね。
だから「頭がいい≒勉強ができる」という使われ方に違和感があった。
ずっと頭の片隅にその疑問があったせいか、最近ふと「頭がいいの本当の意味」に気づいた。
「頭がいい=幸せ」であるためには
ヒントは、昔からオレが思っていたことにある。
頭がよくても幸せでなければ意味がない。
では、頭がよくて幸せであるにはどうすればいいか。
頭のよさを生かして、幸せになる方法を考え実現できればいいのではないか?
人生をいい方向に考え行動できる人こそ、本当に頭がいい人ではないか?
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頭がよくでも幸せではなさそうな人が大勢いる
その視点で見ると、違和感の謎が解けた。
世の中で頭がいいとされる人が、幸せそうには見えないのだ。
人や社会の鋭い批判ばかりする人が幸せか?
「あの人頭いいけどちょっと…」と周りに引かれるような人が幸せか?
大企業のしがらみの中で我慢して、平均よりちょっと給料が多いだけの会社員が幸せか?
違う、人のことじゃないんだ
…書いていて気づいた。
今オレは、世の中の頭がいい人のことを言ったのではない。
すべてオレのことだ。
批判して、周りに引かれて、我慢ばかりしていた昔のオレのことを言っていたのだ。
頭がいいはずなのに、人生を悪いほう、悪いほうに考えていた。
その時間と労力を「どうすれば楽しく生きられるか?」「幸せになれるか?」と考えればよかったのだ。
今からでも遅くはない。
やろう。
徹底的に、人生をいいほうに、いいほうに考えよう。
人間には考える能力があるのだ。
だったら、幸せになる方法を考えるべきだ。
一応言っとくけど、学歴なんて関係ないよ。
高学歴でもクソ面白くない人生を生きてきたオレが保証しよう。