自分で言ってしまうが、オレは努力家である。
会社員とした働きながら朝四時起きで毎日毎日ブログを書き、WEBデザインとプログラミングの勉強をしてWEBサービスを作っている。
そんな人はめったにいないだろう。
思えば昔からそうで、受験勉強しまくって一流大学に入ったことにせよ、ビジネス書を読みまくりその通り実践しまくり会社で出世したことにせよ、出会いを作りまくって結婚出来たことにせよ、すべて努力のたまものである。
しかし、それで良かったかと言われれば疑問である。
夢を達成しても、いずれは日常になる
オレの目標には到達していないとはいえ、ブログ含めた副業に関して数年前想像していた以上には十分なっている。
月に10万ぐらいは稼げているし、ブログでオフ会を呼びかければまぁそれなりの数の人が集められるようになった
ちょっと前のオレからすれば、まさに夢のような状況なのである。
だが10万で何が変わったかって、マックじゃなくてスタバで茶をしても気にならなくなった程度の話である。
また生まれて始めてオフ会をして20人来たのが感動のピークで、そこから先は普通に友達と会うのとさして変わらない。
夢を達成しても、あっという間に日常になる。
まぁ人生そんなもんである。
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努力が人間関係を悪化させる
また、努力することの悪影響もある。
自分が努力すればするほど、努力していない人間が許せなくなるのだ。
知り合いに「ブログの書き方教えて」と言われて教えてあげてもぜんぜん書かず、「最近、仕事が忙しくてさぁ…」とか言い訳されると、「早起きしてでも、通勤中でも、昼休みでも、家に帰ってからでも、ブログぐらい多少気合い入れりゃ書けんだろ!」とムカつく。
「勇気が出なくて出会いが作れません」とか連絡が来ると、「死ぬわけじゃねーのに、勇気なんかいるか!さっさと出会いぐらい作ってこい!」とムカつく。
果ては、全然知らない人が仕事の愚痴を言ってたりするだけでも、「なんだ、そのくだらねー愚痴は!つべこべ言わずに真面目に仕事しろ!」とムカつく。
ここに至って、オレは気づいた。
そんなことしてると、オレ自身が疲れる。
よく考えれば、人のことなんかどうでもいいしね。
努力はあまり必要ない
努力して何かを達成したって、一瞬うれしいだけでいずれはただの日常になる。
また努力すればするほど、努力していない人が許せなくなるという悪影響がある。
さらには、何をするかにもよるが、多くの場合、努力することは苦しいことである。
導き出さる結論は、「あまり努力しなくていい」である。
まぁ多少はやったほうがいいと思うけど、過剰な努力は必要ない。
得られるものは少なく、失うものが大きい。
努力すべきことと、努力しなくていいことの見分け方は明日書くとして、とりあえず努力はあまり人生において必要ではないということだけ覚えといてほしい。
それが努力しまくった結果、たどりついた結論である。