先日、本読んでたら、
「理由のある幸せは、形を変えた不幸」
と書かれていた。
その一文には納得した。
根拠なんて、いつどうなるかわからない
「結婚して、子どももいて、幸せ。」
…とか言ったって、そんなのいつどうなるかわからない。
オレに限って離婚はないにせよ、家族のだれかに事故があるかもしれないし、子どもが反抗期に突入して、むしろ子どもがいないほうが幸せと思う日も来るかもしれない。
別に悲観的に言っているのではなくて、単に確率的に起こり得るという話。
オレは大学生のときからずっと、
「友達は少ないけど、その分関係が深くてそう簡単には切れない。
それはそれで幸せだ。」
とかなんとか思っていたのだが、なんか最近そうでもない感じになってきてしまい、永遠に続くものなどないのだと実感した。
人生一寸先は闇かもしれないし、光かもしれないけど、何にせよ一生そのままってことはない。
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…とか考えてたら、冒頭の「理由のある幸せは、形を変えた不幸」という言葉に納得した。
幸せに理由があったら、それは幸せではない。
いつその理由がなくなるかわからないし、少なくとも「いつか失うかもしれない」という不安がついてまわる。
根拠のない自信こそが人生には必要だ
つまり、「理由のない幸せこそが、本当の幸せ」ってこと。
別に難しい話じゃなくて、何の根拠もないのに「何が起きても何とかなる」「きっと上手くいく」とか思えればいいってことだ。
楽観性とか、根拠のない自信と言い換えてもいいね。
そういう気持ちで常にいることが、まさに「理由のない幸せ」ってことだ。
ではどうすれば、いつもそんな気持ちで生きられるのか?
回答はある程度出たのだが、もう少しまとめたいので、今しばらくお待ちを。
まぁ来週ぐらいには書けるかな。
とにかく、根拠のない自信こそが幸せに生きるには必要、ということで。