先日、麻原影晃ら元オウム真理教幹部7人の死刑が執行された。
死刑に関しては、まぁあれだけのことをやってしまったのだから仕方ないとも思う。
ただオレが気になるのは、オウムや元オウム系の宗教に対する世間の反応である。
「負け組」だから入信した
以前書いたように、一時期元オウム真理教の上祐さんのイベントに行ったり、話を聞きに行ったりしたことから、どんな人がオウム真理教に入信したかは多少は想像がつく。
洗脳されたとか、神秘体験に魅せられたとかしかテレビでは触れなかったが、そういう人たちだけではない。
世間からいわゆる「負け組」とされた人もいたのだ。
例えば、ある程度の年齢の女性で独身で、世間的には負け組でも、オウムにいれば「すばらしい!」とされる。
となれば、世間にいるよりオウムにいるほうが居心地がいい。
だから、積極的に財産を投げ出し、出家する。
そして、薄々「何かあやしい」と思っていても、信じようとしてしまう。
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世間に対するうらみが事件の一因となった
上祐さんに聞いた話が元になっているとはいえ、自分で見たわけではないし、負け組だった信者がどのぐらいいたかもわからない。
しかもここから先はオレの推測もかなり混じる。
…と言い訳した上で、話を続けよう。
勝ち負けで人を差別する、言うなれば世間の冷たさが、彼や彼女をオウムに入信させた。
オウムにいても、そのうらみはどこかに残っていただろう。
その多数の信者のうらみが、地下鉄サリン事件を引き起こす一因になったとは考えられないだろうか?
「今まで何人もの人間に冷たくされてきた!
あんな奴ら、殺したっていいんだ!」
言うなれば、いじめられっこの復讐のようなものではなかろうか。
結局、断絶しか生まなかった
だがそんな見方をするのは、たぶんオレぐらいしかいない。
また、オウム信者を普通の人と見ようとしたのも、オレが知る限り映画監督の森達也さんぐらいだ。
上祐さんが代表を務める「ひかりの輪」には一度施設の中に入らせていただいたが、実にものものしい雰囲気だった。
建物には「元オウムは出ていけ!」という横断幕がかかり、入口には公安がおり、常時出入りする人を監視していた。
「アレフ」は施設の前を通りかかっただけだが、これまた「出ていけ!」的な旗や横断幕があちらこちらに掲げられ、やはりものものしい。
結局、断絶しかなかったのだと思う。
地下鉄サリン事件は、自分たちとは違う危ない奴らが起こした、危ない事件としてしか認識されなかった。
麻原や教団の異常性、洗脳の危険性、オウムのバカバカしさなどばかりが強調された。
そこにいる人々が何を考え、どうして事件に加担してしまったのか、特定の条件においては自分にもその可能性があったなんてことが、公に語られることはなかった。
果たして、これでよかったのだろうか?
死刑執行まで、結局世間とオウムやオウム的なものへの距離は遠ざかった。
これでは、死刑によってむしろ麻原ら幹部は神格化され、また同じような悲劇が起こることになりかねないのではないか?
一連の事件に対する正当化をするつもりはない。
身近な人が事件に巻き込まれていたら、こんなことを書くような心境にはなれなかっただろう。
しかもオレ自身が全くいい人間ではない。
人を散々「バカ」だの「頭おかしい」だの差別しまくってるくせにキレイごとを言っているという自覚もある。
だがそれでも、これでよかったとは思えないのだ。