この1年、月に2冊ぐらいのペースで森博嗣先生の推理小説を読んでいる。
思えばオレは、そんなに同じ作家さんの小説を読まない。
だがなぜか、森先生の作品に限って読んでしまう…
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すべてがよいわけではない
たしかに森先生の小説は面白い。
同じ人が書いているのだから、どれもどこかしら似ているようで、違う。
もう20冊は読んでいるのに、驚くことがある。
犯人の動機ではなく、事実を積み上げて推理するのも、個人的には爽快だ。
だがご本人が「作家の収支」で明言されているように、小説を書くのが好きなわけではなく、お金のために書かれているせいか、ディティールが雑だ。
ほぼ似たような職業のキャラばかりだし、時代考証も甘い。
キャラクターの会話も味があるといえばそうだが、「若い女性がそんな話し方しないだろう!」というのが多くて、読んでいてたまにこっちが恥ずかしくなる。
だがなぜか惹かれてしまうのだ…
頭が良すぎたから
「黒猫の三角」を読んで理由がわかった。
主人公と犯人がこんな会話をするシーンがある。
「小学生の時、普通にしていると毎回テストが100点だった。
最初は褒められたけど、そのうちみんなに引かれるようになった。
だからあえて間違えるようにした。
そのときから孤独になった。」
あぁ、それわかる。
オレもそうだった。
…そうか!
そういうことか!
作品から漂う、人生への虚無感。
凡人への無関心と嫌悪感。
賢い人への好意。
天才へのあこがれ。
それらはすべて頭が良すぎる森先生の思いであり、そこにオレは惹かれていたのだ!
自分で言ってしまうが、オレもそう思っていたからだ!
ということで、頭が良い人には森先生の小説がオススメ。
とりあえず、「すべてがFになる」かな。
★
人に何かをしてもらうには、メリットが必要である。
それをしたことで何か得をするとか、あるいは損をしないとか…
ということを、のろけちょーに投稿してもらうために考えている。
承認欲求的なものか、「幸せな話が人を幸せにする」と美しい心情に訴えるか。
それをどう見せるのか。
…よくわからんな。
とりあえず、オレが色々投稿サイトに投稿してみて考えよう。