ふと小学生のある授業のことを思い出した。
あれ何の科目だったんだろう…
まぁいいか。
先生が、
「自然が豊かな村と、人工的な都会、どちらに住みたいですか?
手をあげてください。」
と質問した。
みんな自然が豊かな村のほうに挙手したのだが、オレ一人だけ都会のほうに手をあげた。
理由は、
「虫がいないし、エアコンもあって快適だから。」
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みんなだれかに合わせる
しかし、質問の仕方が誘導的である。
「自然がいっぱい」と「人工的」って言われたら、そりゃぁ自然がいっぱいのほうがいいと思ってしまう。
それでみんな釣られてしまったのだろう。
理屈はわかるのだが、感覚的にはわからない。
「実際住んでみたらどうだろう…」とちょっと想像すれば、自然が豊かな村で暮らすなんて相当キツイ。
ご飯食べてたら虫がたかってきそうだし、エアコンないから夏は暑いは冬は寒いわ、テレビもラジオもないどころか電気がちゃんと来てるどうかさえあやしい…。
そもそも人間が文明を築いてきたのは、自然の中にそのままいることが厳しいことの歴史的な証明ではないか?
とまで考えた小学生はオレぐらいだったのか、みんな先生の顔色をうかがっていたのか。
何とも言えない違和感を覚えたものである。
なぜ考えないのだ?
今に至るまで、その違和感は続いている。
「オレ様リーマンの非ジョーシキ恋愛入門」を書くのに恋愛・結婚について検索すると、やたらと「結婚しても3組に1組は離婚する」という文章が出てくる。
ネット上では有名で賢いとされていそうな人たちまで、平気で書いている。
なんでこんなわかりやすい間違いに気づかないのだろうか?
結婚して離婚する確率なんて、どうやって出すんだ?
どちらかが死ぬまで追跡しないと結果が出ないじゃないか?
せいぜい1920年に結婚した人の何組に何組は離婚したという、大昔のことぐらいしかわからないはずだ。
となると統計学的に確率で出すぐらいしか思いつかないのだが、計算方法を調べると一年で離婚した組と結婚した組を割ってるだけじゃん?
そんなもんで、正確な数字が出るわけない!
てか少子高齢化が進めば、勝手に増えるわ!
そもそも、3組に1組離婚をそのまま受け入れても、3組に2組は結婚したままじゃないか?
それって悲観的に受け入れる数字なのか?
結婚したら、結婚し続ける可能性のほうが高いんだよ?
感覚的に、ネガティブなほうに引きずられるのはわかる。
行動経済学で言われている通りだ。
でも、おかしいだろう。
おかしすぎるだろう。
なぜ気づかない?
ちょっと考えればわかるだろう。
つまりだ。
自分の頭ではちっとも考えていないのだ。
ほとんどの人は、だれかの意見にただ追随して考えた気になっているだけなのだ。
別に他人事なので知ったことではない。
だがたまに孤独を感じる。
寂しいね。