タイトルが青春マンガのセリフのようになってしまったが、感傷的にではなく、論理的に考えてそうだよな、と。
どちらが得か、という話。
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人を信用しない
オレは基本的に他人を信用していない。
家族だからと言って、純粋に相手を思っての発言しかしないわけではない。
自分の見栄・世間体・欲によっての言動もあるし、ひどい場合は金銭的に子どもを利用しようとすることだってある。
友達も同様。
ただの利害関係でくっついていることも、自分がいないところで陰口をたたいていることもある。
恋人も。
相手を利用しようとすることも、急に心変わりすることも多々ある。
ブログの読者も。
褒められたと思ったらフォローを外されることなど、日常茶飯事だ。
素直にうれしい
だが、ずっと離れない人もいる。
「この人も今は調子がいいことを言ってるけど、いつ離れるかわからない」
と思うことさえないぐらい、あっけらかんといつも好意を示してくれる人がいる。
うれしい。
もう素直に。
先日、世界一幸せと言われるデンマークの暮らしについての本の中に、「デンマーク人は他人を信用している」と書かれていた。
「自分の悪口を言っているかもしれない」
「利用するために近づいてくるのかもしれない」
などと思っているより、それはもう間違いなく、精神衛生上良いことだろう。
離れないであろう人といて、そんな当たり前のことを実感したのである。
信じたほうがトク
他人を疑ってかかるほうが、現実的には正しいのかもしれない。
どんなにラブラブでもカップルは別れることのほうが多いし、友達は時と場合に応じて裏切ったり利用しようとしたりするし、家族も相手のためと言いながら自分のために行動することもある。
だが常に疑いながら生きるのは、楽しくない。
正しいとか正しくないとか、確率的にどうこうとかではなく。
また裏切られたと言っても、お金が盗まれるなどの実害を被ることはめったにない。
だったら、とりあえず信じておけばいいのではないか?
裏切られたら裏切られたで、そのとき考えればいいことだ。
裏切られるかもしれないといつも思っていたほうが、何かあったときのダメージは少ないかもしれない。
だが多くの時間を、人を疑いながら過ごすという不幸なものにしてしまう。
信じたほうが時間的に得だから信じてみようと、とりあえず決めた。