最近、子持ちの知り合いには積極的に会っている。
同じ子持ちの先輩なので、会って話せば勉強になることが一つはあるからね。
先日も友達家族と会ったのだが、印象深い言葉があった。
「子育ては大変っていうか、手間がかかる。」
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大変という思い込み
「子育ては大変」とはよく言われる。
メディアでも実際子どもを持つ親からも、見聞きする。
なので、オレもすっかり「子育ては大変」と思っていたのである。
だから、何気なく聞いた。
「ここまで育てるのは大変だったでしょう?」
それに対する返答が「大変っていうか、手間がかかる」だったのだ。
さらに、こう続いた。
「子育て自体は、ほとんどだれでもできてることだから、難しくはない。」
意味の違い
思い出しては、考えている。
大変と手間がかかるではかなり意味が違う、と。
子どもが小さい頃は、ミルクをあげたり、オムツを変えたり、危ないことをしないかどうか見ていなければならない。
たしかに、大変とも言える。
だが、やっていることは難しくはない。
こういうとなんだが、バカでもできることである。
大変というと、もう肉体的にも精神的にも大変だが、手間がかかるというと、難しくはないけどやることが多い。
なんとなくわかるだろうか?
そして、ただそれだけの違いでストレスがだいぶ違ってくるのも、イメージできるだろうか?
「大変」はそこで思考停止になってしまう。
「手間がかかる」なら気分的に少しラクだし、じゃぁどうやって手間を減らすかという方法を考える余裕が生まれる。
思えばオレは、「生きるのは大変」みたいな言葉が大嫌いだった。
「大変じゃない人もいるはずだ!」と思い、いかに大変じゃなくするかを考えて生きてきたのである。
子育てに関してだけ、うっかりバカな世間に洗脳されてしまっていたようだ。
気を付けなければ。
そしてもう一つ。
賢い友達は貴重である。
何気ない言葉からも得るものが大きい。