先日、一時ものすごく憎んでいた相手から連絡があった。
「久しぶり~、元気?」
みたいな内容。
ダメだ…。
こいつは何も変わっちゃいない…。
スポンサーリンク
言っても変わらない
一時期、色々とあった相手であり、この2~3年は音信不通だった。
関係が終わる前、オレはメールで自分の気持ちを伝えていた。
「あなたに〇〇されたり、××されたことは、本当に、本当にイヤだった。
悔しくて何度も泣いて、一人でベッドを殴るほど怒って、一時本当に殺意を覚えるほどあなたを憎んでいた。
何度やめてほしいと言っても、自分の立場を利用して平然とやり続けられるあなたのような人間を、オレはおそらく一生理解できない。
もうあなたとは一切関わりたくない。
さようなら。」
そして、すぐに来た返事は読まずに捨て、一切の連絡手段を絶った。
だが先日、わざわざ別のルートを見つけて連絡してきた。
しかも、あれだけオレが憎しみを示していたのに、一つの謝罪の言葉もなく「もう結構経ったから、怒ってないだろう」ぐらいの感じで。
人の気持ちを全く理解していない。
あの頃から、何も変わっていない。
じゃぁ、言ってもムダだったかと言うと、そうでもない。
許すのは逃げ
ちょっと心理学をかじったような本だと良く書いてある。
「人を許すことで、あなたが救われる」
オレはこういう意見にずっと懐疑的だった。
「そもそも許さなきゃいけないような相手は、相当ダメな場合が多く、しかもまず変わらない。
がんばって許して、関わり続ける方が、よほど問題ではないか?
というか、心の底から憎んでいる人間を許すことなど、そもそも出来るのだろうか?」
…と思ってたら、あった!
オレの意見にハマることが、下の本に書かれていた。

- 作者: スーザン・フォワード,玉置悟
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/10/18
- メディア: 文庫
- 購入: 55人 クリック: 930回
- この商品を含むブログ (105件) を見る
毒親の呪縛から逃れる方法として、自分がされたこと、そしてそのことにどれだけ傷ついたかを、本人に適切に伝えなければいけない。
親との対決から逃げたくて「許そう」とする人もいるが、結局、怒りや不満はたまったままで、余計に問題をこじらせることのほうが現実的には多い、と。
まさに我が意を得たり!
ここでもう一度、オレの話をしよう。
怒ることで忘れる
勘違いしている人がいるかもしれないが、オレも好きで怒っているわけではない。
いやむしろ、怒るのは嫌いだ。
自分がイヤな気分になるからだ。
冒頭に出てきた憎らしい相手であってもそうで、怒りを伝えた当日は様々な葛藤があった。
「ちょっと言い過ぎたかな…」
「でも、あいつが悪いんだ!」
「…言ったってどうせ分からないだろうし」
「でも、言わずにはいられなかった!」
「これでよかったんだ、これで…」
だが、翌日にはスッキリし始めた。
今までずっとくすぶっていた、怒りや不満はだいぶ減った。
日にちが経つともっと減った。
そして、つい先日連絡が来るまで、あいつのことなどほとんど考えてもいなかった。
別に許してなどいない。
好きか嫌いかで言えば、今でも嫌いに決まっている。
だが、滅多に思い出さなくなったのであれば、そんなことはどうでもいい。
この世のどこかに嫌いな奴がいても、普段関わることはなく、思い出しもしない奴など、いてもいないようなものだから。
怒りをぶつけたところで、相手は何も変わらないかもしれない。
それに、怒りを表現することにはものすごくエネルギーがいる。
だが、そうしなければ、怒りはなくならない。
だから、適切に怒らなければいけないのだ。
だれのためでもない、自分のためだ。
「許す」なんて、なんとなくかっこいいだけの「逃げ」。
少なくともオレは、人を許して自分が救われたことなど一度もない。
怒り、決別し、忘れることが、現実的な最善策だと思っている。
明日、別の角度からも考えてみよう。
★★★
胡散くさいが実はオレが一番伝えたい、「唱えれば夢は叶う」についての記事