数日前、とあるネットの記事を読んでいたら、「本を出すこと」について以下のように書かれていた。
「本を出したい人の大半は、
・ラクに印税で儲けたい
・有名になりたい
・なんとなくかっこいい
と思っている。
不純な動機ではなくて、どうしても世の中に伝えたいことがある人が本を出すべきだ!」
と。
…困ったなぁ。。。
その不純な人って、オレだよ。。。
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不純のかたまり
そもそも、オレのやることなすこと、不純だらけである。
バンドをやってたのは、
「モテたいから」
新卒で大企業に入社したのは、
「世間体がいいから」
ブログを書きだしたのも、
「有名になりたかったから」
「ラクに儲けたかったから」
…考えれば考えるほど、純粋な動機で始めたことなんて一つもない気がする。
しかし、実に不純である!
もうホント、不純だらけである!!
いっそオレを「ミスター・添加物」とでも呼んでくれ!!!
…けどさぁ、不純の何が悪いの?
結局、人の役に立つ
そもそも、ただ「有名になりたい」とか「印税でラクに儲けたい」とか「なんとなくかっこいいから」ってだけの奴が本なんてまず出せないだろう。
仮に、何らかの手を使って出版出来たとしても、売れるわけない。
万万が一、中身のない薄っぺらい本が売れちゃったとしても、まともな人は良心が咎めて、心からは喜べない。
(まともじゃない人は、遠からず人生終わるからほっときゃいい。)
言いたいのは、動機がなんであれ、成功するには人の役に立つしかない、ってこと。
本を出そうと思ったら、出版社に「売れる」と見込まれるような何かがなきゃいけない。
売れるには、読んだ人が良いと思える内容じゃなきゃいけない。
ちょっとやれば、気づくこと。
だから、何かを始める動機は、不純だろうがなんだろうがいい。
そのうち、人の役に立つことを意識し始めるから。
てかさぁ…
立派な動機はウソくさい
感覚的な話なんだけど、なんか「世の中の役に立ちたい」とか言ってる人、ウソくさくね?
オレの性格が悪いからなのかもしれないけど、そういう感覚って理解できないのよ。
いやね、自分のためになることが前提で、その上で人のためにもなることがしたい、とかなら分かるのよ。
ビジネスで言うなら、自分も儲かって、お客さんも喜ぶ商売したいよね、みたいな感覚はオレにもある。
でも、自分のことを一切出さずに、「世の中のため」ってよく分からん。
少なくともオレは、自分が犠牲になってまで世の中の役に立ちたくなんかない。
まずは自分!
社会なんて二の次!!
自分が幸せじゃない世界など滅びちまえ!!!
…と思ってるオレのブログを読んでくれる人がそれなりにいるんだから、動機なんてやっぱりどうでもいいよ。
そんなこと気にするより、やりたいことはとっととやろうぜ!
それに、不純な動機ってすっごい力があるんだぜ、、、って話を次は書く。
★★★
胡散くさいが実はオレが一番伝えたい、「唱えれば夢は叶う」についての記事