ブログでもコラムでもそうだが、オレは基本的に言い切っている。
例えば、「結婚したほうがいい」という立場はもう絶対に崩さない。
でも、感覚的に1%ぐらいは結婚しないほうがむしろ幸せな人もいるとは思う。
だが、そこにはあえて触れていない。
そう、例外があることは分かった上で、意図的に無視しているのである。
スポンサーリンク
中途半端な主張では伝わらない
仮に、
「一般的に結婚はしたほうがいいと思う。
だが、しなくても幸せになれる人もいる。」
みたいに書いたとしよう。
すると、
「絶対結婚しろ!
しないと不幸になる!」
ぐらい強く書いた文章に比べて、「オレ(私)は結婚しなくてもいいかな」と思う人が増える、絶対に。
なぜなら、結婚なんてめんどくさいからである。
モテる人や運良く自然にいい相手と出会えた人は別として、普通はフッたりフラれたりイヤな思いをしながら、相手を探しつつ、自分も変わっていかなければならない。
そんなことできればしたくない。
やりたくないと、やらないで済む理由に目が行く。
だから、中途半端にどっちともとれるような主張をすると、都合のいいほうに解釈される。
さきほどの例だと「結婚しなくても幸せになれる」部分だけが読まれてしまうのである。
「あくまで例外」と書いたとしてもだ。
現実的に確率が高いことを書いている
結婚について、もう少し話そう。
なぜ「結婚したほうがいい」と言い張るかって、理由は至ってシンプル。
いい年で独身でいて幸せそうな男女など、ほとんど見たことがないからである。
友達であれ、親戚であれ、職場であれ、だ。
別に結婚してればみんな幸せか?って言われるとそうでもないが、独身の人よりは幸せそうな人が多い、とは思う。
なんというか、精神的に安定している気がする。
あくまでオレの感覚だが。
…まぁ、結婚の話は例えなので、この辺でやめておこう。
とにかく、オレなりに現実的に見て
「こっちのほうが確率的に幸せになれる!」
って思うことをオレは書いている、しかも例外はあえてムシして強く書いている、ってことが言いたい。
どう読まれるかまで見据えて、だ。
理屈ではない、ムカつくのだ
オレはオレなりに人の役に立とうと思って文章を書いているのである。
ただ、別にオレは博愛主義者ではない。
むしろ、人の好き嫌いは相当激しいほうだ。
(ブログの読者は好きで読んでくれてる人が多いだろうから大体好きだが。)
ではなぜそんなことまで考えて書くかって、よく言えば義憤、ぶっちゃけて言えばムカつくのである。
昔、自分がだまされたから。
現実的に難しいことを、気休めのために言っちゃう文章とかね。
恋愛だと、「片思いでも好きな人がいるだけ幸せ」なんて、もうクソムカつく。
両思いのほうがいいに決まってんのに、経験が少ないがために信じてしまって、どんだけどうでもいい女にムダな上に苦しい時間を費やしたか…。
人は見返りを求めるのが普通だ。
ほとんどありえねーキレイごとを当たり前のように言い切りやがって…。
あと、好きな人がいたらあれだが、昔、村上某って作家の小説をよく読んでた。
今は嫌いだ。
冷静に読むと、抽象的すぎてよくわからんことで悩んでる暗い男が、なぜか女にはモテるみたいな支離滅裂な話が多い。
でも、なんか変にオシャレっぽいっつーか、頭よさそうな感じがして、暗い人生が正当化されてしまうのだ。
そして、変な選民意識持っちゃって、ただでさえモテないのに何もしなくなって、余計モテなくなって、大いに時間をムダにした。
しかしなんで小説ってムダに暗いのが多いんだ?
要するに暗いだけなのを抽象的にごまかして、さらにはオシャレに仕立て上げるとか、こじれるにもほどがあるだろう。
…まぁただの八つ当たりで、オレの自業自得な気もするが、とにかく、現実的に有益でない文章が、理屈じゃなくて生理的に嫌いなのである。
ともあれ、オレはオレが信じたことを断定する。
もちろん、全部信じる必要などない。
全員に当てはまるわけもないし。
適宜取捨選択してくれればいい。
なんつーか、ネットでたまに目につく、なんか長ったらしくてそれっぽくて頭よさそうに見えるけど、例外やら現実的にムリそうなことを正当化してるのとか、長い目で見たら害がありそうな気休めみたいな文章が、オレは大嫌いだ。
村上某と同じ香りがして、もううんざりして、こんな記事を書いてしまった。
ま、読まなきゃいいんだけどね。
今度からそうする。
ということで、以上。
プロフィール記事作ったぜ!