食べる物は気を使う人が多いと思う。
すごくこだわる人は自然食品みたいなお店で買ったりするだろうし、大してこだわらない人でも、さすがに毎日毎日カップラーメン食ってたら不安になるだろう。
ところで、脳にとっての食べ物って「情報」なんじゃないかと思う。
なぜかここには無頓着な人が多いような気がしてならない…。
要するに今日は、前回の「イスラム国とかどうでもいい」って話の続き。
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自分に関係ないニュースなど見たくない
イスラム国に限らず、ニュース全般あまり見ないようにしている。
その辺りをつらつらと書いてみる。
まず、自分とほとんど関係ないことで不安になったり怒ったりしたくない、ということがあげられる。
先日も書いた通り、どこかで猟奇的な殺人事件があろうが、海外でテロが起ころうが、日本で同じようなことが起こる可能性は極めて低い。
仮に起こったとしても、自分が巻き込まれることはほとんどないと言っていいだろう。
三十数年生きて来て、オレも家族も友達も、大きな事件は何も起こらなかったのだから。
起こらないとは言い切れないけど、心配したところで起こったらもうどうしようもないんだから、それまではそんなことを気にしたくない。
ところで、オレは日々楽しく生きることを目標にしている。
だが、ニュースを見るともう陰惨なものばかりで、正直気分が悪い。
しかも、どうせ起こりもしない。
そんなもんは見たくない。
意識して避けなければならない…?
また、ポジティブなものより悲惨なニュースが多いのは、大昔からの遺伝の影響があるのではないか?と思っている。
「甘いものは別腹」なんて良く言われるが、お腹いっぱいでも甘いものは食べられる、ような経験は結構みんなしてるんじゃなかろうか?
前にある本に(何て本だったかは忘れた)、大昔はそれこそ「餓死」が普通だったので、カロリーが多い甘いものはいつでも摂取できるよう遺伝子に組み込まれてる…とかなんとか書いてあった。
同じようなことで、大昔「クマが出た」みたいなネガティブな情報は、早めに察知しないと本当に命に関わる危険性があったために、不安な情報に対して人間は敏感になるよう出来ているんじゃなかろうか?
…まぁこれもその本に書いてあったんだけど。
だから情報は意図的にコントローるするようにしないと、ネガティブなものばっかり見てしまうことになりかねない。
感情のままに見てたら、きっとダメだ。
ニュース見てなくても何とかなる
ただあまりにも世間の情報にうといと、話題についていけなくなるのではないか?と思う人もいるかもしれない。
だがオレの経験上、特に問題ない。
例えば、オレは先日某芸能人が亡くなったことを2,3日経ってから知ったのだが、
「え、亡くなったんですか?」
なんて言って、「え、知らないの?」と逆にウケたぐらいだ。
要するに、慣れればてきとうに切り返せるようになる。
それに意図的に見ないようにしてても、イスラム国のニュースの概要ぐらいは自然と目に入ってきてしまうもの。
ヤフーのトップページとか、Facebookのタイムライン辺りからね。
そんなもんで大体合わせられる。
とにかく、オレの経験上問題ない。
こっから先は極私的な見解
ここからは論理もクソもない。
ただの主観だ。
今までのもそうかもしれないけど。
熱心な読者ならお分かりかもしれないが、オレは割とスピリチュアルな人間である。
良いことも悪いことも、思ったことが起こるという「引き寄せの法則」とかを結構信じている。
だから、ネガティブな情報を見て不安を覚えると、その不安が現実化してしまいそうな気がしてイヤなのだ。
もう一つ、オレ個人の生理的な嫌悪感の問題なのだが、ニュースに対して本気で怒ってる人ってちょっとイヤじゃない?
「これだから日本はダメなんだ!」
みたいに言われて賛同を求められても困るっていうか…。
そんなこと考えたことないし。
あとぶっちゃけ、
「国に文句言う前に、あんたの人生どうにかしたほうがいいんじゃね?」
って人ほど、自分に関係ないニュースに本気でキレてるような気がするって言うか…。
ともあれ、みんな情報の取捨選択はもっと意識的に行ったほうがいいんじゃないか?と、オレは常々思っている。
以上。
プロフィール記事作ったぜ!