そろそろ真面目なことを書かねば…という気になってきた。
ところで、今かなり売れてるであろう「嫌われる勇気」を読んだ。
勉強になったので、ついでに書評などしてみようと思う。
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納得できたり、できなかったり…
これだけ売れてる本にいきなりケチつけるのもあれだが、最初読んでて思ったのは、
「その理屈はちょっとムリヤリっぽくね?」
という違和感だ。
ところで、そもそも『嫌われる勇気』は、フロイト、ユングと並ぶ心理学者であるアドラーの理論を、哲学者と悩める若者の対話形式で説明したもの。
心に負った傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしていると考える。
…じゃない!ってわけ。
その例えとして、ウェイターに一張羅の上着にコーヒーをこぼされて怒鳴ったって話があって、普通は
怒りに駆られて、大声を出した
とするところを、
大声を出すために、怒った
大声を出すことによって、ミスを犯したウェイターを屈服させ、自分の言うことをきかせたかった。
その手段として、怒りという感情を捏造したのです。
と解釈する。
ところで我が会社には、仕事でイヤなことがあるたびに、都合よく病気になって休むおじさんがいるんだけど、そういう人の例だとこの話は納得できる。
「仕事に行きたくないから、病気になった」と。
でもさぁ、本当に何もなくても風邪ひいて休む人もいるじゃんね?
そういう人すべてを、「目的」から解釈するのってムリがある気がするんだが…。
ただ、他にも共感できる話もあって、よくある劣等感について、例えば、
学歴に劣等コンプレックスを抱いて、「わたしは学歴が低いから、成功できない」と考える。逆にいうとこれは、「学歴さえ高ければ、わたしは大きく成功できるのだ」という理屈にもなります。
そして、
あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸るのです。
なんて話には、思わずうなずいちゃったぐらいだ。
…とまぁ、前半は分かったような分からんような話が続く。
明確に幸せになる方法が書かれている
ところが、後半になるにつれて話に引き込まれた。
オレなりに勝手に分かりやすくまとめると、
「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれる
他者への貢献を実感することが幸せってわけだ。
だが、誰かの役に立つために自分が犠牲になるのでは、とても幸福とは言えない。
なので、
「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極める
つまり、
他者がどのような評価をくだすのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない
と割り切った上で、
自分の信じる最善の道を選ぶ
ことが幸せになる方法だと。
また、高い目標を持つことについて、はっきりと否定している。
なぜならば、その目標が達成されるまでは、もしくは達成されなかったら、
「途上」のまま、「仮のわたし」のまま、そして「仮の人生」のまま、人生が中断されてしまう
だから、「いま、ここ」を真剣に生きることが重要なのであって、
「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。
嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。
オレはその通りに生きてるような気がしないでもないのだが、こうして明確に言葉で表されると気づかされることがあるね。
…とまぁそんなところだが、心理学者でこれだけ明確に「幸せとは何か?」「どうすれば幸せになれるか?」について答えを出していた人がいたことが、オレにとっては驚きであった。
売れているだけのことはある内容。
気になる人はぜひ読んでくれ。
プロフィール記事作ったぜ!